我ら夢あり明日あり野望あり
説明会
4月1日。早稲田西北予備校説明会開催。と言ってもすでに入学が決定した人のためのものである。学生証でのカードリーダー
での出席の採り方、授業の説明、購買の説明、毎週あるテストの説明。日下涼子はその説明を取り合えず右の耳から聞いて
おき、左の耳から出ないようにしておいた。だが去年の説明と比べて取り立てて代わり映えのする物ではなく、クラスの担当も
同じで去年も同じ事言っていたなーという感想が思い浮かぶだけだった。
「はい、では4月7日の授業開始日にお会いしましょう。では今日はこれまでです。お疲れ様でした」
メガネをかけた今年の担当のその声に生徒たちは三々五々散っていく。中にはその脚で自習室に向かう生徒もいた。
(そりゃあたしも去年はそーだったわよ・・・)
教室から出たところにある机と椅子に座り頬杖を尽きながら頭の中でぼやく。そこへ涼子の携帯へメールが入った。
『今終わったよ』
留美からのメールであった。留美の説明会は6階なので、3階にいる涼子はそのまま待っている。
だが留美より先に涼子のところへきたのは真琴のほうが先だった。
「はーい、お待た」
少し茶色に染めたロングヘアーをかき上げながら歩いてくる。ローライズのスリムジーンズに白のTシャツの上にカーディガ
ンを羽織っているだけなのだが、そのプロポーションに何も知らない一浪の生徒たちからの視線を集めている。
「ん、あたしも今終わったとこ」
左手の頬杖はそのままに右手で手を振る。そして真琴は涼子の隣に座る。
「留美ネェも今終わったって」
「あ、そ。じゃここで待ってればいいの?」
「うん。…にしてもあんたさ、それいくらなんでも丈短くない?お尻からパンツが見えてるよ。今日は水色のシルクだね」
「やーん、何見てるの。若しかして涼もサッフィズムに目覚めた?」
「あたしゃ純粋なレズじゃないよ。一応バイセクシャルを自称してるけどね。それよりあんたに欲情するのはサッフィズムじゃなくて普
通でしょ」
幸いなことにその会話は誰の耳にも入ることは無く、先程真琴に羨望のまなざしを向けた青少年の純粋な気持ちは打ち砕
かれることは無かった。自分たちが綺麗だと思って見てしまった視線の対象がまさか男性だったなんて…。
また、真琴がレズに目覚めたかといったのは留美が純粋なサッフィズム(女性の同性愛者。レズビアン)であったからである。
女性しかいない予備校の寮は留美にとってまさに天国である。だからと言う訳でも無いだろうが、いつも校内のテストでは
トップクラスの留美は今年で4浪。予備校でもそれだけ長くいる人も少なく、ましてや寮ではとうとう今年は浪人年数で単独首位
に立ってしまった。
「ね、ところでさ、今年は去年と何か変わりあった?」
真琴は私立の理系を目指している。早大理系選抜コースである。涼子は私立の文系。早大文系慶応上智併願コースで、こ
ちらは選抜試験無しで誰でも入れる。因みに留美はこの予備校で一番難しい国公立ハイパー90である。このクラスは国公立
校への合格率が90パーセント以上ということを「うり」にしていて実際毎年90パーセント以上の合格率を誇っている。それだけ
に入学の段階でかなり難しく狭い門を通らなければならないのだが、留美は4年間ずっとその試験には合格していた。今や予
備校の八つ目の不思議とまで言われている。
「いんや別に。まあ、やっぱりうちのクラスから早大に合格できるのはクラスで3人くらいだって事は話して無かったね」
涼子の早大文系慶応上智併願コースはほぼ早大文系早大コースとカリキュラムが同じなため一緒に説明会が行われた。唯
一違う授業は涼子のクラスには慶応上智英語があるのに対して、早大コースは早大総合英語がある事である。
人数は両方のクラスを合わせて150人前後。早大コースが130人くらいで、慶応上智併願コースが20人くらい。一応名前は凄い
のだが、選抜クラスではないため、毎年その中から実際早大に合格できるのは3人程度であった。今はまだ青雲の志で高い目標
を置いている人が多いため、矢張りその事実は伏せられたのだろう。
「まあ、そりゃそうでしょ。ところで涼は選抜クラス受けなかったの?」
真琴がカバンからタバコを取り出して火をつける。隣を歩く男子生徒からは綺麗な女性の意外な姿にまた視線を注がれていた。
ただし1浪で真琴の実際の性別を知らない生徒限定ではあったが。
「うんにゃ。だって早大選抜より先生はこっちの方がいいもん」
「そっか。今年も井川ッチ?」
井川ッチとは早大文系クラスや難関大クラスなど中堅クラスを受け持つ英語講師の井川の事である。因みに難関大クラスとは「明青立
法中」あたりを目指すクラスの事である。
「うん」
「そっか、じゃあとで教科書コピーさせてね。あたしもそっちに『もぐる』から」
「いいよ。教室は・・・どこだっけ?忘れちゃった。後でいいよね」
「うん、まだ一週間あるし」
『もぐる』とは自分が取っていない授業に出ることである。予備校では良くあることであった。そしてそこへ三つ目の声がかかった。
「お待たせしましたー」
170を越える身長はいまだ伸びつづけ、長い黒髪を湛えたその姿は『お姉さん』と呼ばれるに相応しい物だった。
「あー、私は今きたところ」
真琴がタバコの火を消しながら答えた。
「あたしゃもさっき終わったばっかだよ」
「あ、良かったー。じゃあどうする、もう行く?」
三人はこれが終わってから軽い食事をとる約束をしていたのだ。
「そうだね、どこに行く?」
だが真琴がカバンを持って立ち上がったその時、三人に怪しい関西系の声がかけられた。
「すんまへんー、みなはんの中で2浪しているお方はおらへんですか?」
振り向くとやや小柄な黒髪のショートカットの少女と三つ編みにメガネをかけたいかにも大人しそうな少女が立っていた。
「いやね、こんなこと聞くのも失礼かとは思うんですけどね、聞いた話では予備校の授業は上手く取捨選択していかなあかんて聞いた
ことがあってね、それで聞きまわってたんですけどもね」
「あ、ああ、なるほど…」
その勢いに押されながら辛うじてそれだけ涼子が答えた。
「皆さん今年がはじめてでっか?」
「あ、いや、実は皆2浪以上なんだけどね…」
真琴がそう答えると、怪しい関西系少女はばつの悪そうにあやまった。
「あちゃー、そうでっか、それは都合が良かったですけど、失礼しましたなー」
「あ、いや、別にいいですよ、あたしなんか4浪だし」
留美は流石に年長者として笑いながら関西少女に言った。関西系少女はその言葉に、
「4浪でっか。それは凄いでんなー。いや、合格できないことじゃなくてね、それだけやる気なんは凄いなー思て」
「ふふ、有難う。」
関西弁少女の言葉には全く悪意が感じられず、留美は更に笑いながら答えた。
「でも、クラスはどちらですか?」
クラスが違えば授業もちがう。せっかくのアドバイスもクラスが違っては意味が無い。真琴がそう尋ねた。
「あ、わてら二人とも早大文系早大コースなんですわ」
「…ん…」
関西少女の隣の女の子が始めて声を発し、軽く頷いた。
「あ、じゃああたしゃと殆ど一緒だ。私は早大文系の慶応上智コースだけどもね」
「あ、そうでっか!!じゃあ、これは出とかなあかん、て言う授業はありまっかいな?」
「んーとね、井川先生の早大英語は必須。というか井川先生の授業は全部出といた方がいいよ。わざわざトップクラスの生徒が中堅
クラスの井川先生の英語の授業にもぐる生徒がいるくらいだし。そこまでしなくても、単科でセンター英語とかあるからそれを取れるん
だったら取っといたほうがいいかも。センターは受けるんですか?」
井川は単科授業でセンター試験英語も担当していた。
最近では私立大学でもセンター試験を採用する所が増えている。私立専願だからといってセンターは全くの無関係ではない。
「あ、はい、一応受けようとは思てます。私立専用ですけど」
「そ、まあ、あとは個人の好みかな。教え方が同じ教科でも当然先生で違うし。でも取り合えず全部出たほうがいいのは当たり前
ですけどね。それと選択教科ですけど、地歴公民はどれを選んでます?」
「あー、一応日本史です」
「私も…」
「じゃあ新庄先生ですね。…ん、新庄先生?」
自分でそう言って涼子が留美を振り返る。そこにはニコニコと笑顔で笑っている留美の姿があった。
「あ、んーと、新庄先生はいい先生なんだけど…」
「なんだけど?」
「…?」
「一寸性格と言うか性癖に問題ありというか…」
その涼子の言葉に留美が意外そうな顔をする。
「あら、サッフィズムに何か問題あり?」
「いや、そうじゃなくて、すぐ生徒に手を出すだろ、あの先生?」
「サッフィズム?」
「…?」
聞きなれないその言葉に関西少女とメガネ少女が首をかしげる。
「あ、うーんとね…なんというかな…」
涼子が答えにくそうにしていると、
「レズビアンのことよ。」
あっけらかんと留美が答えた。
「レズ!?ほんまでっか?うわー、すごいなぁ。私初めて本物のそういう人の話聞きましたわ」
「関西にはそういう人はいなかったですか?」
留美が尋ねてみた。
「は、関西?」
「ええ、関西のほうの方でしょ?」
「え、私?いえいえ、全然違いますわ。私は仙台出身」
「へ、仙台?」
関西(仙台?)少女の答えに留美にしては珍しく素っ頓狂な声を出してしまった。
「はいな、独眼竜のお膝元、そしてベガルタで御馴染みの仙台ですわ」
「でもその関西弁…」
「ああ、何と無く使ってまんのや。関西弁って喋りやすおまっしゃろ。あと大阪に憧れてまんのや」
「成る程、それで関西弁がやけに怪しかったのか…」
留美が得心を得た。
「そうだったんだ…」
関西(?)少女の隣のメガネ少女もそれは初耳だったようだ。
「はいな。岩本輝美。仙台出身。身長154センチ、体重43キロ、バストウエストヒップはご想像にお任せ。今日東京に上陸ですわ」
「あ、仙台出身じゃどちらから通うんですか?」
留美が尋ねた。
「えと、ここの予備校の寮ですわ。葛西っちゅーところから」
「あ、そうなんだ、じゃ私たちと一緒だ。私は佐藤留美。さっきも言ったけど4浪。クラスは残念ながら一緒じゃなくて国公立ハイパー
90。私も葛西の寮からなのよ」
「あたしゃも葛西の寮から。日下涼子、今年で2浪目。早大文系慶応上智併願コース。選択は日本史。あ、言い忘れてたけど、留美ねぇも
サッフィズムなのよ」
「へー、そうなんでっかー、レズの人なんて初めて見ましたわー」
「輝美さんでしたっけ、学校に女子生徒は少なかった?」
輝美の言葉に留美がそう尋ねた。輝美はその質問の意図はつかめなかったが質問の文意に忠実に答えた。
「あ、いやうち女子校やってん。一学年450人前後おりましたわ」
輝美が通っていたのは仙台でも、いや宮城県内でも有数の名門進学女子校である。
「じゃあ50人近くはレズがいたと思うわよ。あ、女子校ならもっと多いかも」
「そうでっか?そりゃバレンタインのチョコとかはあったけど、どうもそんな深い関係まではなかったと思うねんけどなー」
一寸昔の記憶を手繰ってみるが、そういう甘美な光景を目にした事は無かった。
「んー、まあ、高校生じゃね。まだちゃんとそうだって言う子は少ないかもね。でもね、同性愛者って30人に1人はいるのよ。だから、
450×3×1/30で、45、まあ、大体50人くらいいたんじゃないかって思ったのね」
「成る程―、30人に1人でっかー、じゃあ、この予備校でも60回人ごみに石投げたら1回はレズビアンに当たりまんな」
「ふふ、そういうことね」
輝美の表現が面白かったらしく、口に手を当てて留美が笑った。
「じゃあこれからも色々教えてくれまへんか?」
「ええ、一緒に授業とか受けましょうね」
輝美の言葉に涼子が答える。
「あ、それと私は落合真琴。早大理系選抜コース。私も2浪。東京が自宅なんで、私は自宅から通ってます」
「あ、そうなんでっか」
その言葉には何ら驚くことは無かった。
「一番大事なことが抜けてるから私が付け加えるけど、この人男なの」
「は!?男のひとでっか!?はー、そりゃーわかりませんでしたわー…」
その言葉には流石に驚いた。
「はー、いやー綺麗でんなー…。いや綺麗や…」
流石の輝美にもそれしか感想が無かった。
「あー、でもね、あたしたち三人に関わると良くないって専らの噂なんだよね…」
「何ででっか?なんぞ秘密でもありまっかいな?」
涼子の言葉に輝美は不思議そうな顔をする。
「いや、うーんとね、あたしたちの名前って、佐藤留美、日下涼子、落合真琴でしょ。佐藤留美の『留』日下涼子の『下』落合真琴の『落』。つまり
留年、下、落ちる。…めちゃくちゃ良くない名前でしょ」
「な、成る程…」
浪人生だけあって輝美はそういったことは気にしてしまう。
「何故か私たちの周りにいた人達も合格率が悪いのよね」
留美が付け加える。
「だから今年の最初の目標は4人以上名前の良い人を私達のグループに入れることなの!!」
「は、はあ…」
流石の偽関西娘、輝美も涼子の絶叫に勢いが押され気味だ。
「だから、輝美さんでしょ、輝なんて良い名前じゃない、だから輝美さんは決定。で、良ければ名前教えて頂けませんか?」
涼子が輝美の後ろにいるもう一人のメガネ少女に尋ねた。
「あの…山田光(ひかり)です…」
「光!!素晴らしい!!二人目決定!!」
「後二人名前の良い人を見つければ今年は合格ね」
真琴がそう言うが果たして本当か?
「よし、これから皆で素晴らしい人を見つけていきましょう。これが最初の目標!!じゃ、取り合えずこれから食事でもしながらこれ
からの事について密談しましょう!!」
別に密やかにする必要は無いんじゃ・・・と光は心の中で突っ込んでおいた。