忍ばざれども

 

 


 

 足元には上田城の支城であるこの城の城主が倒れていた。正確にはまさに今倒したのだ。

 倒したと言っても騒動になった訳ではない。悟られず背後に回り、そしてくないで首を真横に静かに線を引けばそれで

終わりだった。

(きゃは。今日もあっさりと終わり。さて、帰りますか)

 あえて闇夜に目立つ白地の衣装を身に纏ったこの城の城主の最大の疫病神は誰もこの部屋の外にいない事を気配で

確認すると障子を静かに開けそして閉じ、廊下の柱に足をかけ飛び上がり、梁に手をかけて反動をつけて屋根の上へ上が

る。陶製の瓦の上に降り立ったと言うのに風が音を運んでこない。まるで実体の無い陽炎が動いているようであった。…とは

言ってもその姿を見た者は誰もいなかったが…。

 

 

 

 幸村が胡坐をかいて座り、そして目を瞑って人が来るのを待っていた。待っている相手は幸村の父、真田昌幸である。

 遠くから足音が聞こえてきた。そして後ろから入ってきた相手が横を通り抜けて上座へ行くとき両手を突いて頭を下げる。

 昌幸は静かに言った。

「…小鶴城が落ちた」

「なんと」

 幸村は少しばかり驚いた。小鶴城は取り立てて守り易いと言える城では無いがかと言って守りにくいと言う訳でもない。兵も

500ほどおり、姉小路軍が向かった300の兵だけで落とせるとは思っていなかった。

「繁信が何者かに暗殺されておったそうだ。予め繁信が殺されていたのが分かっていれば落ちる筈も無かったのだろうが夜襲

をかけられた時になって繁信の不在が分かったそうだ。指揮系統も取れず浮き足立った兵では数が多くても勝てぬ」

「左様ですか…」

「息子の重宗が辛うじて繁信の遺髪を持って逃げ延びたそうだが首を一かきで切られておったそうだ。そして相手は首は持ち

帰っておらぬ」

「忍びですか…」

 首を取り名誉を得るのが武士であれば指令を最小限度、そして最短で実行し不必要な事は一切しないのが忍びである。

敵方の大将を討ち取って首を持ち帰らないのは少なくとも武士ではない。と言うか城の中で誰にも知られる事無く人を殺す

のは忍びの者ぐらいしかいない。

「姉小路が上杉と結んだようだ。上杉はお館様(武田信玄)を取り除きたい、そして姉小路は信濃が欲しい。双方の思惑

が一致したと言う訳だ。或いは信濃と甲斐を上杉と姉小路で分けるのかも知れぬ。とにかくこれから上杉と姉小路の攻勢が

始まるかもしれぬ。心しておけ」

「はっ」

 幸村は頭を下げた。

 その後幸村は実兄真之の部屋を訪れた。

「失礼致します」

 静かに障子を開けると真之は書を読んでいた。

「どうした」

 顔を上げ幸村を向く。壮健そうな幸村とは対照的に真之は色白で細面である。

「小鶴城の事は聞かれましたか?」

「うむ、繁信殿が何者かの手にかけられておったそうじゃな」

「はい、兄上は如何お考えでしょうか?」

 喋り方も一言一言に魂を込めるかのごとく情熱的に喋る幸村と真之は対照的であった。やや低く、だが少し女子のような

声質で静かに喋る真之はややもすると妖艶さが言葉に混じる。

「忍びしか暗愚の私には考えられぬ。まともに刀を交えて繁信殿が何の対応も出来ず殺されるとは思えない」

 幸村にとって真之の暗愚と言う言葉は謙遜以外の何者にも聞こえなかった。書を読めば諸子百家、大陸の遥か昔の

兵法書も読めば京の公家のように雅な物語も愛読している。句を書けば緩やかに流れる川の如く四季の美しさが言葉に

乗って舞い、和歌を詠めば短い文章に物語が綴られる。

 また同時に刀の使い手でもある。そして他の者は知らぬ事であるがかなり手練でもあった。幸村と手合わせをしてもなんら

劣るような事は無かった。

 また小鶴城城主の安藤繁信は僅かに小心さを見せる時もあったが兵法もわきまえ性格もよく、その小心ではあるが臆病では

無いその性格は逆に城を護るのには適していると思われていた。

「やはりそうとしか考えられませぬな。兄上であればまた別の考えもおありかと思いましたがやはり忍びの者でしょうかな」

「決め付けは出来ぬがその選択肢を外す事は出来まい。小鶴城を落としたと言う事であればまずは姉小路軍が先にやってくる

であろうな。それともまたこちらが小鶴城を落とすかだが父上はどうお考えだ?」

「いえ、まだ次の指針は聞いておりませぬ。ただ心しておけと」

「うむ、確かに決めかねるところではあるな」

 真之もこれについては次の指針はおいそれと出てこなかった。

「時に兄上」

「なんじゃ」

「少し稽古に付き合って頂きたく存じます」

「またか」

 真之は苦笑いした。嫌いでは無いが幸村の相手は疲れる。

「私は体を動かしていないと落ち着きませぬ」

 若くて元気な幸村らしい答えだった。

 

 

 一方姉小路領。

 姉小路の当主の前にその女は控えていた。だがややその雰囲気からは緊張感などは感じられない。幸村以上に若い肢体からは

溢れんばかりの躍動感が滲み出ていた。そして姉小路の当主が口を開く。

「…次は上田城じゃ。今度の相手は城主の昌幸、或いは息子の真之、そして…幸村じゃ」

 蝋燭が揺らめいた。

 

 

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