月影は人を照らして3
スーツの男は上村に肩を貸しながら響の待つマンションの部屋へとエレベーターを上がっていた。
「おい、上村、ミネラルウォーターが待ってるぞ。」
「ああ、ミネラルウォーターにミネラルウォーターを混ぜてミネラルウォーターのミネラルウォーターわりだ・・・。」
車に程よく揺られ、更にひと眠りしているところを起こしてしまったせいか酔いが更に回ってしまっているようだった。
「それは世間一般では『ただの水』というんだ。ほらエレベーターが開くぞ。」
スーツの男が住む8階にエレベーターが止まる。エレベーターの扉が開くとそこにはスーツの男がよく見知った顔があった。
「おっと、響、どうした、出かけるのか?」
スーツの男のパートナーが立っていたのである。
「あ、ううん、レイと上村が来るのを下で待ってようかと思って今から下に下がるところだったの。上村がべろべろになっちゃったんじゃ
レイが大変だろうと思って。」
「ああ、それはすまなかったな。でも大丈夫だよ。上村の一人や二人ぐらいなら俺一人で大丈夫さ。さ、部屋に戻ろう。」
レイは細身ながら180センチを超える長身だが、響は身長が160センチ一寸しかなく、更に童顔であった。上村を含めた三人の
中では一番力があるように見えるのは身長が175センチ、体重が80キロの上村に思えるかもしれないが、実は純粋な力も
レイの方が上である。また純粋な力、腕力だけであれば響よりは上村の方が上ではあった。が、それでも響は見た目からは想像に難い
力を持っている。上村もまたひと並外れた力を持っているのだ。
上村は30回目の誕生日を去年迎えた。響は今年で24歳である。
見た目は上村は年相応、響は年からは想像も出来ないくらいの童顔。レイはそもそもが年齢がいくつか分からなかった。そして
レイは作り物のような顔からは意外と年齢を想像することは難しかった。
部屋に戻ったレイと響は上村を布団に寝かせた。一応ミネラルウォーターがいるかどうかたずねたが返答はなく、枕もとにコップと
凍らせたミネラルウォーターのペットボトルを置いておいた。
「また飲み比べでもしたの?」
先に席について座っているレイに響が料理の仕上げをしながらたずねた。
「ああ、負けたのは俺だったがな。まあ、俺が負けてよかったよ。俺が勝っていたら上村の運転になっていたからな。若しかしたら今頃
こうやって響とあえていなかったも知れない。」
「あはは、そうだね。・・・ね、お茶漬け、鮭にする、明太子にする?あとはマグロとかもあるけど。」
「マグロにしてくれ。いつものやつで。」
「うん、了解。」
いつものやつとは海苔をまぶしたご飯にマグロの刺身を乗せてその上から醤油をかけ、わさびをたっぷり載せてそこにお茶を注ぐ
お茶漬けのことである。レイはお茶漬けに限らず、わさびが大好きで、なんにでもわさびをつけてわさび味にして物を食べる癖があった。
「響は夕飯食べたのか?」
お湯を沸かしている響にレイが声をかけた。
「うん、ここに来る前に食べてきたんだ。僕もさっき来たばかりなんだよ。だから僕もあんまりお腹は空いていないんだ。」
「そうか・・・。ところで響。」
「ん、なあに?」
「明後日、正確には日付が変わったから明日になるんだが仕事が入った。」
「そっか、内容は?」
「A組の組長の娘のボディーガード。家庭教師役で来月末までだそうだ。その間住み込み。」
正直レイにあまり合えなくなるというのは寂しくはあるが、こういう仕事をしている以上仕方が無いことだ。それにこれくらいのことならば
何度もあることで、それより危険だったり長期間だったりしたことは何度もある。
「そっか、そのくらいなら大丈夫かな。」
「まあ、詳しいことは聞いていないから今の段階で簡単に考えすぎるのは危険だがな。」
「そうだね。」
この世界で超一流を自称することは誰にでも出来るが、他人から言われるにはそれ相応の理由がある。二人はそう言われるだけの
実績も実力も持っていた。その最低限の理由の一つがたとえどんなことにでも気を抜かないことである。これは『言うは易し・・・』の典型
である。
「それとな、響。」
「ん、なあに?」
「明日から一月半住み込みじゃ暫く上村ともいけなくなるから今日行って来ようと思うんだが。」
「あ、うん、じゃ僕も見に行くよ。いつもの場所でしょ?」
「ああ、時間は上村次第になるが、おそらく六時か七時くらいになるかな。」
「うん、じゃ一緒にいけるよね?」
響がレイのワイングラスにワインを注ぎながら言った。
「ああ、そうすれば帰りの運転の確立は三分の一になるからな。」
レイは明日も飲み比べで帰りの運転を決めるつもりでいた。
「それは三分の一とは言わないよ。どう考えても僕が一番弱いに決まってるじゃない。・・・ま、二人とも疲れてるだろうから別に
いいけどさ。」
レイと上村が明日行く、といっていたのは、路上での演奏のことであった。レイがサックス、上村が以外にもフルートという、
やや異色の組み合わせのコンビによる路上演奏はレイの容姿もあるにしても、いつも大盛況で、演奏を行う新宿駅の脇はすぐに
人だかりが出来る。あまり長くは行わない演奏に、半ば伝説とまで言われている。それだけに見られた人はラッキーだといえた。
レイも上村もたまに行うこの演奏を楽しみにしていた。上村がレイの家に置いているといっていたのは上村のフルートのことで
あった。
「じゃ、明日の成功を祈ってくれ。」
「うん。」
二人のワイングラスがキスをした。
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