月影は人を照らして2
「教科は何を教えればいいんだ?」
結局飲み比べで負けたスーツの男が運転をしていた。負けたとはいっても、今は少し酔いは覚め、隣のジャケットの男よりは
意識はしっかりしていそうだ。何よりこのスーツの男は二日酔いというものには強い。瞬発力が少しとなりのジャケットの男より
足りないくらいで、悪酔いというものをしないし、体調を崩すということも少ない。どちらかといえばジャケットの男の方が明日は
辛そうである。何せ飲み比べたのがワインである。ワインほど悪酔いする酒も無い。
「・・・、英、国、数、日本史、生物だ。レベルとしては高校二年生レベル。ただ、進学するためのレベル以上のことは教えてくれ。」
スーツの男はその答えに少し驚きをこめて返す。
「おいおい、それじゃ五教科全部だろ。それに進学レベルの事を教えなきゃいけないのか。ボディーガードに多くを求めすぎじゃ
ないか?」
「先方には大学入試どころか大学院試験でも教えられると話している。一ヶ月もあれば、それなりのことは教えられるだろ。せっかく
家庭教師として住み込むんだ。こちらの方が効率いいだろ?」
「・・・細かいところでセコイんだな。・・・おい、俺にもタバコをくれ。」
ジャケットの男がタバコを咥えたのを見てスーツの男がタバコを求めた。
「ほらよ。」
ジャケットの男がタバコを運転をしていて真っ直ぐしか見られないスーツの男の口に咥えさせてやった。
そしてジャケットの男はライターで自分のタバコに火をつける。
スーツの男は火の点いていないタバコを咥える格好になったが、次の信号が黄色から赤に変わり車を止めた。
スーツの男はジャケットの男の方を振り向き、こちらもスーツの男の方を振り向いたジャケットの男の後頭部に手を回し、
まるでキスをするかのように自分に引き寄せる。
キスとは違い、10cm程離れた二人の真ん中で一本しか火が点いていなかったタバコから、火の点いていないタバコへ火が
手渡される。
「明後日から住み込みとなるとお前と出来るのも明日ぐらいしかないな。行くか?」
また前を向いたジャケットの男がスーツの男に尋ねた。
「いいな。俺もそれを考えていた。そう言えばお前、うちに置いたままだよな。今から取りに来るか?」
スーツの男が上村に言った。
「ああ、出来れば取りに行ったまま今晩泊めてくれると嬉しいんだが。」
「別にかまわんが、響がいるかもしれないぞ?」
「ああ、そうだな・・・。響には悪いが今晩はやっかいさせて貰おう。このまま運転して帰るのは正直辛い。」
頭が痛いのか、はたまた睡魔に襲来されているのか、上村は左手を頭に当ててうめくように言った。
上村がスーツの男と同じ世界で働く、協力関係としての同業者、同じ穴のムジナだとすれば、響はスーツの男のパートナー、
同じ役割をもつ同業者という感じだった。
「じゃあお前から響に連絡してみてくれ。まあ、うちにいなければよし、いたとしたら今晩泊まることを言っておけば、布団ぐらい
用意しているはずだ。・・・それとも迎え酒の方がいいか?」
「よーく冷えたミネラルウォーターを用意しておいて貰おう・・・。あとは布団へ直行する。お前らの邪魔をすることも無いだろう。」
「別に人が泊まっているときに『する』趣味は無いが・・・。まあ、若しかしたら新しい性癖に目覚めるかも知れんがな。その時は
覗いてもいいが俺たちに気取られるなよ。」
「悪いがお前ら二人に気づかれずに行動する自信は、たとえ寝ているときのいびきでもないよ。」
正直な感想であろう。スーツの男と響を相手にこっそり何かをすることなど上村には困難なことであろう。上村の技量が一般的に
劣るのではない。上村は実行者としても一流の腕はもっている。スーツの男と響があまりにも桁外れの超一流であるだけなのだ。
「そうか・・・じゃあ響に電話してみてくれ。」
「お前からした方がいいんじゃないのか?」
「俺は運転している。運転中の携帯電話の使用は法律違反だ。」
警察が聞いたら侮辱罪で逮捕されそうな言葉だ。
「・・・まあいいさ。居てくれるといいんだがな。」
「別に響がいたところですぐ倒れるだろ?」
「いや、ミネラルウォーターがな・・・。」
「響の役目はそれだけか。」
スーツの男は笑いながら上村に言う。
「まあいいさ、響が居ようと居まいとすぐ寝ることだな。明日行くとなれば、頭も体もすっきりさせてもらわなくては困る。昼までは
起こさないから好きなだけ寝ていろ。それと起きてから少し・・・、・・・おい?」
上村は既に夢の世界へと旅立っていた。
「しょうがないな・・・。」
スーツの男はギアの後ろのスペースに置いておいた自分の携帯を取り、短縮ダイヤルのボタンを押す。
「・・・響か?俺だ。今どこにいる?そうか、やっぱりうちに来ていたか。じゃあこれから二人で飲もう。ワインを冷やしておいてくれ。
・・・ああ、食事はそんなに重たいのはいらない。今、上村と食べてきたところだ。それと今晩上村を泊めるから。まあ、最も、既に
おねむしているところだが。布団を出しておいてくれ。
・・・それとミネラルウォーターをキンキンにな。」
もう必要か必要で無いか分からなくなってしまったが、親友のために用意させておいた。