風の城2
新年の一番初めの日。
例年どおり十カ国の年頭の使者がアスリーナの都城を訪れた。王への謁見は到着順に行われる。バストリアは十か国中九カ国目、
エミルアは十か国中一番最後に到着した。
一番最初に到着したアレイダ皇国の使者は新年の挨拶もそこそこにアスリーナとアレイダの間に位置するパートル国を共に攻め、
領地を半分ずつ割譲しようと持ちかけてきた。アスリーナ王はその言葉に笑って誤魔化し、アレイダとしてはその提案そのものは
本気であったのはアスリーナ王もそのことは分かっていたが、今回は新年の挨拶の為の使者である為、使者としてもそのことは
わきまえているので、「改めて申し入れをしに参るときは良いご返事をお待ちしておりますぞ。」と豪快に笑って謁見室から退出した。
それにしてもアレイダの新年の使者はいつも一番に謁見する。おそらく他の国々でもそうなのであろう。毎年思うことだがあの国
らしい。
アスリーナ王は次のフィエル国の使者から、八番目に到着したマリク公国の使者まで、例年通り、相手国の旧年の労と使者の此処
へ来るまでの労とをねぎらい、互いの新年の壮健を願った。
八番目のマリク公国の使者が謁見室から退出し、階下の赤い絨毯の上を使者の供が待っている部屋へ戻ろうと歩いているとき、右の
曲がり角からバストリアの使者が現れた。おそらく次に謁見するのであろう。マリク公国の使者が軽く頭を下げるとどうやら騎士らしい
相手の使者は立ち止まって両拳を握り、胸の前で両腕を交差させ頭を下げ、バストリア騎士の礼をとる。
思いもかけず丁重な礼を返されたマリクの使者は慌てて立ち止まり、
「これは失礼をした・・・。」
と、改めてバストリアの騎士に向かい礼を今度は先程より深くした。
バストリアの騎士は気を悪くした様子は無く、これから帰国の途につくであろうマリクの使者に、「お気をつけてお帰りを。」と笑顔と
共に声をかけてきた。
マリクの使者も、「御身にご自愛なされよ。」と声を返し、お互いまた軽く一例をしてその場を立ち去った。
マリクの使者は予言者でも預言者でもなければ、並みの人ならざる能力を持っているわけでもない。おそらく偶然と気紛れの
女神が寝返りをうったに過ぎないことなのかもしれなかった。いや、若しかしたら偶然と気紛れの女神が気紛れにマリクの使者にこの時
だけ特別な能力を授けてくれたのか。或いはバストリアの使者に好意を持ったのかもしれない。だがそのマリクの使者を通した好意は
朴訥としたバストリアの騎士には届かなかったようであった。
この大陸には自国内のみならず、他国においてもある一つの謁見時における儀礼的な作法があった。
それは国王クラスの人物に謁見するときは己の剣を鞘から抜き、それを刃を下にして眼前に突き刺し、そのあと片膝をつき、手は片方
を膝の上におき、もう片方を体の後ろに回しておく。
この作法の意味する所は、若し王に対して非礼などがあれば何時でも今地面に突き刺した剣で己の首を差し出す、ということから来て
いる。起源などは知られていないが、ずっと戦いが続くこの大陸において、戦いというものを重んじてきた戦闘民族の誇りを表しているも
のだと言われ続けている。だがこれは時には諸刃の刃で、王など身分の高いものに対して謁見する場合に帯刀が当然許されるわけで、
その剣を使って王の暗殺という例がたびたび起こった。
だが大陸の諸侯はそれでも己たちの誇りにかけてその儀礼をやめることは無かった。
また城内など、屋内のときは床に剣を突き刺すわけにもいかないので、床に柄を王などに差し出すようにして置く事になっている。
バストリアの使者は謁見室の扉の前に来て係の者が謁見室の扉を開けるのを待っていた。毎年の儀礼的なこととはいえ、一国の全
権使者を任された使者と会うのだ。一回一回に準備もあれば帰りに持たせる貢物に対する返礼も用意しなければならない。
「さ、どうぞ。」
謁見の準備が出来たのであろう、扉の前の護衛の兵士がバストリアの使者に促す。
両開きの扉は左右ともに内側から中に開けられ、もう正面にはアスリーナの国王が王座に鎮座している。
バストリアの使者はアスリーナ王が自分と大して年は違わない26歳だと聞かされていたが、明らかに自分とは違う雰囲気を静かに発して
いる。肩より下に伸びた髪。若さは十分に感じられるのに似つかわしくなさを感じさせない髭。そして決して攻撃的ではないのだが、相手を
圧倒するような威圧感。確かに王座に座っていても背が高いのは伺われる。だが肉付きの方はがっちりとしているでもなく、身長に見合っ
た程度の体重しかなさそうなのに、体の大きさ以上の大きさを感じさせる。
使者はそれでもバストリアの騎士としてまさか臆した様子を見せることの無いように、出来るだけ自然だと思えるような歩き方で謁見室
の上の赤い絨毯に歩き出す。
ほんの少しだけ横目で見れば、一国の王の新年の謁見の式だというのに部屋にいる人が少ないように感じる。今、後ろの扉を閉めた
人物が二人いる様子である。あとはアスリーナ王、光を湛えた床に届くくらいの長い黒髪を自然かつ優雅に垂らしている、アスリーナ王の姉に
もあたる宰相アスティ。金髪でショートカットのアスリーナ王の妹で軍師のアストルファ、宮廷付きらしき司祭。そしてこの場に似つかわしくな
いそれ一着持っていないのではないかというほど汚れているフード付きのローブを纏い、新年の儀式だというのにそのフードをすっぽりかぶ
り、顔色すらうかがえないような人物が一人。
護衛の兵士もいなければ、近衛団の隊長も騎士団長もいない。
バストリアの使者はアスリーナへ使者としてきたことは初めてだったので、これがアスリーナのやり方なのかとは思ったが、それにしては
その意図がつかめない。別に非友好的な儀式ではないから王の身に危険が差してある訳ではないが―ましてや当方にその気は無いし―
一応は万が一のときのことを考えたりはしないのだろうか。自国のことながらバストリアが特別アスリーナから多大な信頼を得ているとは
思えない。それともどのような国の使者に対してでもこうやって信頼しているということを表しているというのだろうか。
だがまさかその疑問をアスリーナのフェルディナンド王に聞ける筈も無く、疑問の足音を響かせながらフェルディナンド王の壇下で止まる。
大陸の共通の儀式に従い己の剣を鞘から引き抜き、柄を王のほうに向けて差し出してから床に置く。
「今年もまたこうしてアスリーナとバストリア両国の新しい年の始まりを共に祝うことが出来ること、無上の喜びに御座います。この幸せを
与えてくれた天の神に感謝申し上げる次第で御座います。」
これまた大陸共通の儀礼的姿勢でフェルディナンド王にバストリアの騎士が新年の祝賀を述べる。
「今年もまたバストリアとアスリーナが共に栄えられること、地の霊に感謝する次第である。」
使者の言葉に続いてフェルディナンド王が言葉を続ける。
『今年もまたバストリアとアスリーナが平穏でいられること、全ての民に感謝いたします。』
さらにフェルディナンド王の後に続いて謁見室にいたアスリーナの臣下が声を揃えて新年の祝賀を述べた。
この辺は各国によって小異はあれど、大体は同じことを繰り返す慣習のようになっていた。
「お使者どの、遠路はるばるご苦労であった。先ずはわが国自慢の葡萄酒でまず体を落ち着かせるが良い。去年は葡萄の出来がことの外
良くてな、まだ若い葡萄酒でも上等な葡萄酒として飲むに耐えることが出来そうじゃ。すぐ運ばせよう。葡萄酒をこれへ!!」
宰相アスティにそう言うとアスティは「畏まりました。」と礼をしてから予め部屋の隅に用意してあった葡萄酒を取りに行く。またその王の言
葉に司祭と軍師アストルファは自分たちの脇に置いてある小机を王の壇下、バストリア騎士の前に置いた。椅子は用意しておらず、立った
まま飲んでもらうことにしていたらしい。
フェルディナンド王が王座から降りてきた。そしてちょうどそこへ宰相が盆の上に小樽と、小樽から移す為のガラスの容器―今で言うデキャ
ンターみたいなものか―とグラス二つを乗せて持ってくる。
フェルディナンド王自ら小樽のふたを開け、ガラス容器にいったん葡萄酒を注ぐ。薔薇を水に溶かしたような色をした葡萄酒は確かにこれ
が去年の新しい葡萄から作ったものだとしたら、かなりの上等な葡萄であることを思わせる、普通の新しい葡萄には無い深くて確かさのあ
る芳香をあたりに漂わせた。
その間も使者はずっと先程の姿勢を保ったままである。
王はガラス容器に入った葡萄酒を軽く振り、空気と葡萄酒を触れあわさせる。それは男と女が交わるが如く、やりすぎてもまた足らなくても
いけないのだ。葡萄酒とはヤマト国に伝わる「サケ」に次いで非常に繊細な飲み物なのである。
王が葡萄酒と空気をちょうど良い所まで交わらせ、グラスの一つを取り、泡を立てて注ぐ。そのグラスを盆の上に置いてからもう一つのグ
ラスにも同じようにして葡萄酒を注ぐ。
まさかとは思うが、一応その動作に何も怪しい仕草が無かったことに使者は心の奥で僅かに安堵した。
だがこの使者の危惧はまた別の場所で当たっていたのである。
「さ、お使者どの、一献受けて下され。」
とグラスを差し出す。
フェルディナンド王の言葉に使者は、
「はっ、頂戴致します。」
と、その場に立ち上がり、前に進んでそのグラスを受け取ろうと歩みを進めようとした。
「・・・・・・彼と此の硬き絆を解き放たん。其の在るがままの気を取り戻すべし。・・・『オルーア(摩擦無効化)』・・・。」
先程からずっと動かず、小机も司祭と女性である軍師に運ばせておいたフードをかぶった人物からなにやら呟くような声が微かに聞こえた。
だが其の声は隣にいた司祭ですら聞き取ることは出来ないような声で、ましてや王の仕草を具に見ていた使者が気付こうはずも無かった。
ただ司祭も、軍師も宰相も、そしてアスリーナ王フェルディナンドもそれが何を意味しているか何を齎すかは既に理解していた。
「・・・んおっ!!」
先程から良い芳香にやや気を取られていた使者はフェルディナンド王からグラスを受け取る為踏み出した右足が床の抵抗を捕らえられず、
急流に張った氷の上を歩くが如く、足を滑らせてしまった。
まさかこのような場所に似つかわしくない感触を得てしまった使者は、そのまま後方に倒れ、両手と臀部で体を支える格好になってしまった。
そしてフェルディナンド王の言葉は其の使者の体勢を待っていたかのように鋭く発せられた。
「何をする!?」
「は?こ,これは失礼を・・・。」
使者は己の失態に対しての王の言葉だと思ったらしく、先ず転倒の理由を考える前に、王に慌てて詫びを入れた。
「おのれ、バストリアめ、年頭の使者と謀って我が君を亡き者にせんとするとは神をも恐れぬ所業!!」
予め用意されていたように宰相が腰の剣を引き抜いて使者に声をかける。
「な、何のことでござりましょうか・・・?」
使者には宰相の言葉が理解できない。
「我が君の手が塞がる時を見計らい襲おうとするとは、何とも狡猾なやつ!!」
そういった軍師の右手にも剣が握られていた。
「お使者殿、残念であったな。確かに我が手が塞がれている時を狙うとは良い機会であったかもしれぬが其の後がお粗末過ぎたの。
其れでは暗殺者としては三流以下、下の下じゃ。」
そうは言ったが王は己の剣は持っていなかった。だが決して慌てることは無く、バストリアのいまや暗殺者に仕立てられてしまった
使者に言葉を投げかける。
「ち、違いまする、いや何故かそこで足を滑らせてしまいまして・・・。」
「この期に及んで言い逃れはバストリア騎士の名が泣こうというもの。それとも騎士ではなく純然たる暗殺者かの?或いは転んだふりを
してそこな剣を投げつけることでも考えていたのか。」
フェルディナンド王は哀れみの表情すら浮かべ、バストリアの使者を見つめる。
「な,何を申されますか!!今の体勢を見て頂いておりましたでしょう。そのような素振りなどこれほども見せてはいないはず!!恥ずか
しながらそこで足を滑らせただけに御座りまする。」
被害者とされている者ですら信じていないのだ。ましてやその気などこれっぽっちも無かった加害者に仕立て上げられた人物は必死で
弁明する。
「私には其の方が暗殺者だとはいまだに信じられぬ・・・。残念じゃ。」
「お,お待ちくださりませ、これはおかしすぎまする。いったいどうしてこのような・・・。」
王の言葉にわが身の危険を感じた使者はしゃがんだままやや後退りする。
「今更何を言っても遅いわ!!」
使者の右から軍師が切りかかってくる。
「くっ!!」
使者は軍師の剣戟を左斜め後ろに飛びのくことで辛うじてかわした。
「死ねいっ!!」
飛びのいた所へ今度は宰相が剣を振り下ろす。
これまた辛うじて避けて交わしたが、宰相の剣は下から更に横へ一閃された。
「んぐあっ!!」
使者の胸を地面と平行に傷跡が走る。そしてそこからは先程の葡萄酒より赤い液体が飛び散った。
まだ致命傷ではなさそうだが、決して無視できるような傷でもない。
「やっ!!」
そこへ休む暇を与えるはずも無く、軍師が左肩から切り下ろす。今受けた傷は使者の素早い動きを確実に奪っていた。軍師の激しい
剣戟に交わそうとするもほんの僅かに体をずらせただけで、それを見て取った軍師は剣先をやや軌道修正し、使者を切り下ろした。
「ぐわっ!!」
この傷はほぼ致命傷といっても良かった。このままにしておいても出血多量で彼方の国へ旅立つことは確実であろう。だがフェルディナン
ド王はそれをずっと見ていられるほど冷酷な人間ではなかった。
己自身の剣を右手に握り締め、ゆっくりと片膝で辛うじてしゃがんでいる使者の前へ歩みを進めた。
「許せ、お使者殿!!」
今日一番鋭い死を招く線は確実に使者の顎の下を捉え、使者の首はその場に飛び上がり、そして床に落ちてきた。
「・・・お使者殿の遺体を片付けて差し上げろ・・・。」
「はっ。」
フェルディナンド王の言葉に宰相が答えた。
そのフェルディナンド王は遠い目をしていた。まるで遠くの自分の決意を見詰めているような目だった。