暗蜜 其の六

 

 

 夢を見ていた。

 みんな笑っている。千代も、いつもはあまり表情を崩さない松も。秀頼も共に笑っている。笑いの中には楓がいる。そしてその

隣には・・・。

「・・・、・・・・・・、・・・・・・、・・・・・・!?」

 目を覚ますと、周りの景色は揺れていた。揺れているだけでなくどんどん下に下がっていっている。僅かな光が『人工的な』暗闇を

照らす今の景色に見覚えは無い。目が慣れると、そこは一本の下へと下がっていく階段であった。少しづつ意識がはっきりしてくると、

自分が誰かの肩に担がれているのだと気付く。前後を見れば見慣れない顔の鎧武者が何人もいる。

 その中の一人が気付いた。

「おお、意識が戻ったようですぞ。」

 どうやら前の方を歩いている人物にかけた声らしい。とはいえ今の何がどうなっているかわからないこの状況が果たして好転しているもの

なのか今より悪くなっていっているのか分からない。とにかく自分の意志の働かない所で物事が進んでいくことは甘受できない。まずは

わが身を取り戻すことが先であると判断した。

「くっ、はっ、放せっ!!」

 自分を担いでいる男の肩の上で暴れる。男の力は普通の男よりも強かった。だが意識を失っていると思って片手で担がれていた

人間が急に思いもかけず暴ると、その拘束から簡単に解放された。そして男の肩から身軽に下に着地する。身についた習性だろうか、

手は腰の刀を求めていた。だがそこに愛用の刀は無い。

「気が付いたか、一人で付いて来れるか?」

 一同が足を止めると、前の方から身分の高いと思しき人物が歩いてきた。その顔には見覚えがある。

「お主は・・・。」

 

 

 政宗は幸村の身を案じていた。たとえ幸村がどういう行動を取ろうと次の策は考えてある。だが勿論一番いいのは伊達家にとって

最上の結果がでてくれることである。そしてそれは幸村の無事と同義でもある。伊達家にとっての最上の結果と、政宗個人にとって

最上の結果が同じであるとすれば神仏にそれを祈ることに何の躊躇いがあろう。だが、それは結局は幸村の無事を祈る大義名分が

出来たに過ぎない。政宗は必死に幸村が生き残ってくれることだけを祈っていた。

 自分から死地に飛び込ませておいて無事を祈るのも虫のいい話かもしれないが、伊達家と政宗の思いを両方満たしてくれるには

それしか方法は無い。

 

 

 幸村は真田軍の先頭を馬で駆けていた。そして幸村もまた、葛藤をしていたのである。自分の大願は本当に家康を討つ事なのだろうか。

それはあくまでも真田家当主の大願であって、幸村は本当にそれを一番に考えているのだろうか。勿論家康は討ちたい。だが

果たしてそれが一番なのだろうか。本当は生きたい思いは無いのか。命が惜しいことは無い。幸村は命よりは名を惜しむ。だが

名を惜しむ以上にあの男を惜しんではいないだろうか。一つの目に人以上の意志を燃え滾らせる独眼竜。もし幸村が何も背負うものが

無ければ今すぐにでも政宗の所へ飛んでいったであろう。だが幸村には背負うものがある。それはたとえどれほど強い幸村の思いを

もってしても今すぐ捨て去ることが出来ないもの。

 だがそれでも完全に幸村の思いが絶たれた訳ではない。政宗が苦渋の決断で開いてくれた道を駆け抜け、そして家康の首を討ち取り、

政宗の所へ駆けつければよい。おそらく政宗はいるはずだ。この国を統べることになる若者と共に。そしてそのあとならば真田家を

出ることができるであろう。もう幸村を縛るものは無い。

 その時には同じ者を主君と仰ぐものとしてあのくノ一とも一緒でいられるだろうか。

 幸村は槍を一度馬の脇に収めると、兜の緒を一度しっかりと締め直した。そしてまた槍を手に取るともう一つ、馬に一声かける。

「はぁっ!!」

 幸村の目に葵の御紋が見えてきた。

「狙うは家康の首一つ!!他の者には構うな!!そして・・・。」

 幸村は他の者にもこう命じた。

「そして生きよ!!名を捨てて生き恥を晒すのではない!!勝って・・・、勝って真田家をまた再興するのじゃ!!そのためには

お主らの一人が欠けてもならん!!これが最後の戦ぞ!!最後を真田家一番の勝ち戦で締めるのじゃ!!あとは・・・!!」

 あとはあの独眼竜がこの国を導いてくれる。とは心の中で自分だけに言い聞かせた。

 

 

 

 なにやら急に騒がしくなってきた。それも陣の後方からその騒動は広がってくる。すぐに考えを巡らしたが、その理由はすぐには

思い浮かばなかった。だが東軍を統べるものとして僅かな動揺も見せることは出来ない。侍従に、

「何事か。」

と極めて冷静に聞いた。

「はっ、見てまいりまする。」

と侍従は姿勢を低くしたまま家康の陣屋を出て行く。だがすぐして戻ってきたのは別の物見だった。転がるようにという表現が

ぴったりと当てはまるくらい、その物見は慌てて走ってきた。止まるのと、家康の前で跪かねばならないのと同時に行おうとしたため

その物見は家康の前で地面に手をついてからも少し前のめりになったままニ、三歩進んでしまった。

「申し上げます!!わが軍の後方より敵襲!!その数五百有余!!旗印は六紋銭にございます!!」

 その言葉に徳川軍の陣中にいる緒将が色めきたった。だが主だったものは前線に赴いており、今のこの陣には武将は数えるほどしか

残っていない。

「なんだと!?何故真田がわが軍の後方に?まさかあの伊達を打ち破ったと言うのか!?」

 一人の老将が立ち上がって物見に向かって叫ぶ。だが勿論その老将ですら分からない事が真田の軍を目で見ただけの物見に

分かるはずも無かった。

 自分の理解を超えた事は家康の判断を仰ぐしかない。

「いかがなさいますか?」

 『どういうことか』という何故そこに真田軍がいるかということよりも、『この状況をどうするか』と、とりあえず今の状況をどうにかしな

ければならない事を分かっていたのはさすがというべきだった。今は真田軍がそこにいる理由などは後から考えても良いし、

分からなければもっと情報を集めても良い。今は目の前の実際の脅威を取り除く方が先だ。

「後方の守りを二重から三重にせよ。両翼の軍を中央の一番後方に回すのじゃ。真田軍は五百有余とあれば広い守りよりも中央の

守りさえ厚くすれば時間は稼げる。またすぐに前方の軍へ合図を知らせよ。それと忠勝は前線には出ていないはずじゃ。すぐに忠勝の

軍にも知らせよ。」

「はっ!!」

 物見は今来た勢いと同じくらい慌てて陣屋を出て行く。

「人払いをせよ。」

『はっ!!』

 家康が言うと緒将はすぐに陣屋を出て行く。何か策があるはずだ。今はその策は分からないが、今はそれよりもその策の実行を

急がねばならない。緒将はその疑問よりも家康の命令を最優先させた。

「・・・伊達の軍を見て参れ。」

「はっ。」

 誰に言ったか他の者には分からない命令にその者は真田の軍の脇を通り抜けて伊達がいた、いるはずだった場所へ向けて走り出した。

 ここまでは家康の命令に無駄も間違いも無かった。また伊賀者に伊達の軍勢を見に行かせたのも次の命令を下すのに必要な事である。

 だが一つ誤算があった。その誤算とは一つの出会いのことであった。

 背の高い草の中を一人の男が走り抜ける。すぐ脇を真田の軍が男が来た方向へすり抜けていく。勿論この草が邪魔をして真田の軍から

見えないようにしていたためこれだけの僅かな距離で真田軍とすれ違っているのだ。もしこの草が無ければ更に遠回りをしなければならず、

今よりもっと時間がかかっていただろう。もうすぐ草が生い茂る地形は抜ける。だがそれより先に真田の軍の最後尾とすれ違ったようだ。

喧騒は遠くへ走り去っていく。男は更に駆ける足を速めた。

 背の高い草の海を抜けたときだった。

 それはお互いにその出会いは予期されたものではなかった。

「!?」

『!!』

 そこにはただ真田の軍を見送ることしか出来なかった楓たち三人がそこにいた。だが流石に鍛えられた三人である。その男の反応より

先に男を取り囲むように移動する。

(出来る・・・。)

 それは三人の総意であった。少なくとも只者ではない。また普通の武士のようでもなかった。どちらかと言えば自分たちと同じ匂い・・・。

それは相手も悟っていた。このような機敏な反応を見せられてこの娘たちがこちら側の人間であることを悟る。果たしてどちら方の

人間なのか・・・。

「・・・・・・豊臣の者か?」

 三人が真田の軍のすぐ後ろにいたから男は楓たちにそう聞いた。

「・・・・・・だとしたらなんとする?」

 楓がこの中では一番のリーダーだし、また男もそのことを雰囲気から悟って楓に聞いたため、楓が答えた。

 男の答えは行動だった。右後ろにいる千代目掛けて切りかかった。見た目にもそうであるが、実際の腕前としてもこの中では一番劣る

千代から片付けようとしたのはこの男の腕前の証明であった。だが千代とて並の忍びではない。少なくとも十分に警戒した相手に切り

かかられて何も出来ないことはない。少なくともまだ優位に立っているのはこちらである。男の実力は千代も十分悟ることが出来たが、

それでも楓と松がいる状況下ではこちらが圧倒的に優位である。千代はその二人と連携をとってこの難敵を倒せばよい。

 男は切りかかると同時に、胸元から手裏剣を何枚か取り出し、それを楓と松目掛けて同時に投げつける。狙いは寸分違わず逸れる

ことなく楓と松の眉間付近を襲った。

 だがこれは楓は逆にこの男が短期決戦で事を終わらせようとあせっている証左だと悟った。忍びは実際は手裏剣はあまり使うことが

ない。手裏剣とは本当に最後の切り札みたいなものである。確かに千代から狙いを定めたことは間違いではないが、その千代一人を集中して

倒したいと楓と松の二人に手裏剣で牽制をしたのはとにかく早く千代を倒したいと思ったからであろう。逆に言えば三人に連携を取られて

しまっては勝ち目はないと言っているようなものである。松はかわして、楓は刀で手裏剣を払い落として男に切りかかろうとする。

 男はその二人は意識して気にせず、千代に切りかかった。千代の肩口から切り下ろすつもりだった。千代は個人の戦いであれば総合的に

この男の方が強いだろうと思ったが、それでもいつもはこの剣戟より鋭い剣戟で鍛錬している。刀を使わせても楓は一流であったが、特に

松が豊臣の忍びの中でも優れていた。

 千代は剣先を斜め下に向けて、男の刀を受けた。男の刀と垂直に受けてしまってはそれでも男の剣戟が鋭いため刀が『伸びてしまう』

恐れがあったし、手が痺れる恐れもある。こうして斜めに受ければその角度が自然に男の力を逃がしてくれる。

 男は一撃で決めたかったが、叶わず、次の剣戟を繰り出した。千代の左のわき腹から斜め上に切り上げる。だがその一撃はさっきのそれより

冷静さを欠いていた。そのことを千代にも悟られていては、もうこの時点で三人に対して勝ち目はない。千代はそれを今度は剣先を真下に

下ろして地面と垂直に構えた刀で今度はしっかりと受け止める。そして相手が受け止められた刀をまた振りかぶろうとした隙を狙って後ろに

飛びのく。一定の距離をとれば、男も楓と松のせいで迂闊には千代に切りかかることが出来ない。男はこれ以上は進むことは叶わないことを

悟った。

  そのことを悟ると、男は一転してすぐに冷静になる。このあたりが一流の忍びである。こんどもまた懐に手を入れ、体を四分の三回転ほどさせ、

三人に同時に手裏剣を放つと、その回転の勢いのまま、手裏剣の命中を確かめることなく走り出した。千代は辛うじて、松と楓はさっきと同じく

かわしたり刀で払ったりして手裏剣を避ける。だがその時には男は既に三人の囲みの中から抜け出していた。走って追いかけても追いつけそうに

ない。楓は打ち落とした男の手裏剣を素早く拾った。

 そしてその四方手裏剣を横手に男の背中目掛けて投げつける。本当ならば脚を狙ってあたれば一番追いつきやすいのだろうが、走って

逃げる男の脚に当てるというのは困難であるし、もし外すと男に容易に逃げられてしまう。背中であれば的は大きいし、少しぐらい狙いが

外れてもどこかには当たってくれる。そうすれば男の逃げる足も鈍るはずだ。

 楓が投げた手裏剣は楓の思惑通り男左肩に突き刺さった。刃が多く、威力は小さいものの確実に相手に突き刺さる八方手裏剣などと違って、

突き刺されば威力は大きいものの、八方手裏剣などと違い相手に突き刺すのが難しい四方手裏剣であったが、楓はものともせずそれを

男に突き刺す。

 男は確かに手裏剣を肩に受けたときバランスを崩し、少し足も鈍りかけたようだった。だがすぐにまた体勢を立て直して正面を向いて走り出す。

他の場所に比べて肩は怪我によって行動を制限されにくい場所であることが災いした。楓の考えとしては外れていないのだが、相手の男が

楓の思っていた以上に訓練されていた忍びであったということである。

 男はすぐに背の高い草が生い茂る中に走っていった。

「徳川のものでしょうか?」

 千代が楓の脇に来て聞いた。

「少なくとも東軍のものであることはわかったが、来た方向からするとその公算は強いな。」

 忍びは相手に背を向けて逃げるとき、逃げる先が相手に分かられるような逃げ方はしない。だが今男がこの場に来て楓たちと遭遇したのは

偶発的な出来事である。つまり男がこの場に来たときは他のものを気にしていなかったかもしれない。また男は急いでいた。男が来た先から

すぐにこの場を通りかかったのだろう。だからその男の来た先から推測すれば、徳川の本陣であろうと思われた。

「如何致しましょうか?」

 また千代が楓に聞いた。男の任務が気になる。

「・・・真田の軍の横を通り過ぎたということは真田の軍には関係ないということだ。真田の軍の後方で撹乱を行うにしては人数が一人では

少なすぎる。となるとこの先にあるものと言えば・・・伊達だな。家康も真田の軍の来襲はとうに分かっているはずだ。家康も真田が何故伊達を

通り抜けることが出来たか分からなかったのであろう。」

 そこでまた楓は考えた。当初の予定ではすぐに長崎に向かうはずであった。だがこれまでのさまざまな事情がそれを思い止まらせる。楓は

長崎に向かうより先にやりたいことがあった。だがそれは今の状況ではまず無理である。今伊達の軍へ行って無事でいられる保証はない。

だがその楓の心を見透かしたかのように松が口を開いた。

「・・・・・・黒脛巾と接触致しましょうか?」

 黒脛巾組(くろはばきぐみ)。伊達家が抱える忍者集団である。脛(すね)に黒い防具をつけていたことからこの名がついた。政宗はこの

忍者集団を最大限に使い、ありとあらゆる情報、知識などを仕入れていた。政宗の戦略を大きく支えた影の最大の功労者でもある。

 だが今はまだ伊達とは敵同士である。つまり当然黒脛巾組も敵である。黒脛巾組も優秀な忍びが多く、武田や上杉、そして北条などが

抱えていた忍びがいなくなった今、伊賀者甲賀者と並ぶ忍者集団になっていた。

「出来るのか?」

 楓が松に聞いた。

「は、黒脛巾には江戸の大奥に忍び込んでいたとき知り合った者がいます。」

 松は以前江戸城の大奥に忍び込んでいたことがあった。大奥では男は禁制で、それゆえ不満が溜まるため、女を相手に不満を解消していた

のである。中には楓や、桜、千代などと同じく半陰半陽の者も大奥にはおり、そのための女が大奥には何人かいた。松はその女として大奥に

入り込み江戸を調べていたのである。その松と同じく大奥にいた者の中に、黒脛巾組のくノ一がいたのである。任務は松とほぼ同じで、当時は

今のぐらい豊臣と伊達が敵同士として険悪にになっていたわけではなかったから、お互いに協力し合ったりして江戸城、そして江戸の街を調べて

いたのである。

 果たして今その者が伊達の軍にいるかどうかは分からないが、いれば黒脛巾組の上の者、或いはうまくいけば政宗自身に謁見できるかも

しれない。楓には出来れば政宗自身から聞きたいことがある。楓はその僅かな道に賭けることにした。

 

 

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